石川教授インタビュー

たくさんのことに興味をもって、視野を広めてほしいですね

石川教授
(情)

情智会のHPのほうに石川先生からのメッセージとして載せるということで、おねがいします。 いくつか質問させていただきます。まず最初に、長い間教育生活おつかれさまでした。

(石) いや、どうも。
(情) 最初の質問なのですが、石川先生にとって、武蔵工業大学での生活とはどういったものでしたか?
(石)

まぁ、いろいろありますが…、
楽しい面、苦しい面、いろいろありました。 やっぱり、学生との付き合い。それが一番楽しかったね。 学生との付き合いが楽しくて、もちろん、レベルの低い人はいることはいるけども、
相対的にいうと、武蔵工業の学生というのは、みんなまじめで、よくできる。資質がいいですね。
それはほんとにうれしかったですね。 学校へ来てみて、学生の質がいいんで、打てば響くというところがあって、 みんな遠慮してなかなかいわないけども、言うときはいいことを言い、ちゃんと正しい答えが返ってくるし、 そうゆう意味で、そうゆうことを含めて、学生さんとの付き合いが一番楽しかったですね。

(情) なにか武蔵工業生との付き合いのなかで、石川先生が得たものってありますか?
(石)

具体的に言われるといきなりででてこないけど…、
たとえば、授業のしかたでもね、ときとして、言ってくれる学生がいますね。
先生授業が速すぎますとか、そんなに早くやらないでください、とか、
それじゃついていけないので、もう少しゆっくり書いてくれとかね、もっと大きな字を書いてくれとかも 言われたし、 ただ、一番うれしいのは、卒業生に、いろなことをアドバイスしてもらうことですね。 現役の人より、卒業生にいろんなことをアドバイスしてもらうことがあります。あんまり根詰めて、勉強ばっかりやるもんじゃありませんと、もっと生活を楽しんでください、というようなことを言われますね。 卒業生になると率直に言えるようですね。
そうゆうことを言われるのはとてもうれしいですね。

(情) これから、武蔵工業大学に入ってくる、新入生に対してなにか望むことなどあったら教えてください。
(石)

大学とはね、考えるところだと。自ら頭で、自ら発想して、勉強していくと。 そうゆう習慣を、つけなさいと。 だから、大学とは考える所、つまり創造性を養うところです。 それがまず第一歩ですね。 それが第一点です。
もう一つはね、今度は逆に協調性。グループで行動して、うまくやること。 その2つですね。
それから3つ目はね、 これは私自身に課している宿題なんだけども、 相手の立場に立ち、考え、行動しよう。 だから、相手の気持ちを常に考えて、行動しなさいと。
その3つですね、学生に言いたいことは。


(情) 最後の質問なのですが、在校生、卒業生、OB、に対して、石川先生からのメッセージを頂きたいのですが。
(石)

いま、君たちが来るということで、少し考えてみた。長くしゃべるから適当に編集してください。
日本人は、物まねばかりして創造性がないんじゃないかと。そうゆうことはよくいいますね。しかし、それは間違いなんですね。昔のことを考えてみるとね、例えばヤギアンテナ。これもテレビで、世界であたりまえのように使われているでしょ、あのヤギ先生、学者でもあったんだけど、これほとんど一人で考えたことなんですよ。それから、君の家にもある、マグネトロン。マグネトロンは電子レンジにはいっている、発信機ね。あれはオカベ先生、これも日本で、やったことですね。 それから、MK鋼(エムケーコウ)という、優秀な鉄の、鋼を作った、ホンダコウタロウって人がいます。まぁそんなのは昔の話でね、これは本当に日本の独自のアイデアで出来上がって、世界に、普及した物、そうゆう代物ですよ。

それで、戦前の、結局やぎアンテナができたころっていうのは、短波、超短波というのが、いまのVHFとして立ち上がってきたころでしょ、だからそうゆう時代は一人でできたんですよ。新しいこと、創造が。

ところが、現在になると少し形がかわりますね。日本人が世界に作って普及させたものというと、トランジスタラジオ。これは第一号だね。戦後の。それから今の形のVTR。家庭用VTR。これも、日本が、ビクターがやった方式で、世界に広まったものですね。あとプレイステーションで代表されるゲーム機ね。それからデジカメ。それから携帯電話。これらは日本人の発明で、世界に広まったものですね。ただ大きく戦前と違うのは、グループじゃなきゃできないことですね。ということで、日本人の創造性がないというのは大間違いで、事実で証明している。

それから日本人のもう一つの特性というのはね、物まねから出発して、完成度を高めてしまう。そうゆう技術ね。コンピュータがその一つですよね。なんといっても今言えば、トップバッターは自動車だろ。自動車というのは、イギリス、アメリカで発明されたものだけど、トヨタでもホンダでも、世界に冠たるトヨタ、ホンダでしょ、それで、まぁ、そのたぐいのものは工作機械とか半導体とかいっぱいありますよ、それで、ものまねから出発するのですけども、それをうまく改良して、ちゃんとした製品に仕上げると、そうゆうところね、それが日本人のひとつの特性ですね。

それから弱いところ。マーケティングが弱い。結局物を商品化して、売り込むこと、そこが弱いんですよ。それはね、ひとつはPR力、これは弱いですね。それから、我々の社会性ね、国際性、
そうゆうのが弱いんじゃないかと、本質的にね。そのへんで、たとえば八木アンテナ、日本で八木さんが発明して、日本のメーカは見向きもされなかった。ところが、戦争中にシンガポールを占領して、米軍の使っていたレーダに、まだ、超短波じゃなくて、マイクロじゃなくてVHFのレーダだったの、んでレーダに英語でヤギって書いてあったんです。それで、ヤギってどういう意味だって聞いたら、向こうの技師がびっくりして、ヤギって日本人じゃないかって。

そうゆうふうに、外国で先に使われちゃうようなマーケティングではダメですね。

それから、僕の行っている会社とアメリカの会社で、その頃は日本の半導体も結構強くてね、まったく共同開発で、マイクロプロセッサをみんなで分担して作ったんだよ。そして、ひとつマイコンの周辺でねCRTC、CRTのコントローラがあったんですよ。んで、これは、こっちが作って、向こうが発売したのね、そしたらね、製品番号は違ってるわけ。こっちの製品番号、製品名と、向こうの製品番号と、違ってるわけ。ところが、むこうのほうがマーケティング力が強いからさ、とうとう最後になったら、向こうに負けちゃってね、こっちは、こっちの名前を変えざるをえなくなっちゃったんです。むこうと同じ名前にしなきゃいけなくなっちゃった。ということで、このマーケティング力が弱いというのは、反省しなければいけないことですね。

ちょうどその話が出たので、だいたい10年から15年くらい前は、日本はすばらしくよかった。
景気もよかったし、技術的にもトップだったね。japan as number oneっていう本が出たくらいで。で、当時アメリカベトナム戦争の後で、凋落していて、どうにもならない状態だった。なぜ日本がそんなに立ち上がったのかとかんがえると、戦争に負けてもうむちゃくちゃになっちゃったわけね、だから、ちょっとでも生活をよくしようというので、一生懸命日本人は働いたわけですよ。その結果として、そこまでレベルが、自然に上がってしまったわけです。ところが現在は、どうなったかというと、日本は凋落の時期、景気回復したとか言っているけど、むしろ落ちているんでしょうね。政治も経済もみんな悪い。これは慢心の結果ですよ。アメリカは、10年前の、うんと低かったのを、官民意識をもって努力をしたんですよ。んで、その結果ね、マイクロプロセッサ、ソフトウエア、ネットワーク、これらを使って、いまのアメリカのような、高いレベルへいったわけですよね。まぁ、マイコンなんてインテルとマイクロソフトにやられっぱなしでしょ。世界中が。

だけど、そうゆうふうに考えると、日本がまた最低にあるわけよ、だからいまは立ち上げのチャンスで、もう一回戦後と思ってね、やればいいんじゃないかと、そうゆうふうにね、

以上が前置き、それで、学校の話をしましょう。電子情報工学科、ですね、これ今度名前が変わる。コンピュータメディアというふうに変わりますね。そして、やることは、コンピュータのハード、コンピュータのソフト、システムといっても人工知能、それからメディアね。そのメディアというのは、我々が使っている意味では、コンピュータと人間との、インターフェースをいかにスムースにやるかと、逆に言えば、コンピュータを使いやすくする。あるいは、人間的なコンピュータを作る、といった技術ですね。このメディアというのをですね、今後是非強力に立ち上げてほしいと思います。学科としてね。それを強く望んでいます。それにはやっぱり、研究室同士があんまり独立ばかりしていないで、研究室間でプロジェクトを作ってやるとかね、交流をしてね、やること。それから企業ともプロジェクトを組んで、共同研究をやる。そうゆうことを必要としますね。それで、いまみたいな日本の状態だと、逆にいえば、コンピュータが最低の状態だとね、ちょっとでも新しいことをやればそれが新技術ですよと、逆にいえば、電子情報工学科にとってみればね、一つのチャンスであるわけですよ。だからがんばって、やることすべて新技術、新製品につながるというふうに考えてがんばって欲しいですね。これが学科へのお願い。

それから学生さんへの注文なんだけど、これもいくつかあるんですけども、まず、さっきいった、ひとひとりで、考える習慣づけね、考えること。これは創造性につながっていくわけね。そして決して日本人の創造性は、悪くないから、やれば武蔵工業の学生の資質なら必ず創造性はついてくる。

それから、卒論でも修論でも共同で研究しているでしょ、共同研究というのは、非常にいいことで、自分で考えることをサボってはいけませんけども、共同してうまくやっていくというのは、将来
製品を立ち上げるときのチームワークに役立ちます。だから、お互いに協力しあって、何かをやるという習慣を是非つけてほしいと思います。これが2番目ね。

それから3番目はね、研究テーマを選ぶときにやっぱり最先端のことを選んで、そこに挑戦してほしい。

最後に、周囲のことを含めてね、多くのことに興味を持ってほしい。たとえ読むもの、漫画であっても新しいことがかいてある漫画を読みなさいと、そうやって人間を広くして欲しい。
将来マーケーティングというような領域に入っていってもね、困らないような、幅の広い人間に育って欲しいと思います。この4点ですね。

これくらいしゃべればネタはたくさんあるんじゃないかな。

(情) ありがとうございました。
(石)

ほんとにね今はチャンスですよ。日本のエレクトロニクスは最低のところにあるから、なにやっても、ちょっとでも前に進めば、新しいことになっていくし。

(情)

工学部でもマーケティングとかの部分の教育とかはないんですかね?
ほとんど営業だとか、マーケティングの部分は、会社の中であるじゃないですか、
技術者にもそうゆう教育も大学のうちに出来ればいいのかなと思いますね。

(石)

環境情報学部があるんだから、あっちの講義を聴きに行くことですね。あっちではそうゆうことやってますからね。こういったことをこれからもやっていけばいいんじゃないですかね。

(情)

そうですね。だから技術的なことばかりになって、そうゆうところに目が行かないかなと思います。

(石)

だからたくさんのことに興味をもって、視野を広めてほしいですね。どうしても工学部にしてはね、視野が狭いですね。 まぁ、僕らの時代は、戦後はね、腹が減るような生活から一生懸命働いたよ。会社で。残業も徹夜もいとわずに。そうやってがんばっているうちに、いつの間にやら世界でトップになっちゃった。

(情)

松田さんとか三浦さんとかと飲んだときに、今のソニーは戦後から築き上げたものにのっかってるだけだからこれからは変えていかないとって。そんな人材がいないんだって。これからですね。

(石)

そうですね、いまは悪いんだと、最低の状態なんだという認識から努力をしていけば、必ず、勝てますよ。創造性は十分にあるからね。
そうゆう意味でこのメディアってのは面白いなって。いままでみたいに、コンピュータってのはプログラムをかいしてしか、コミュニケーションできない代物だったでしょ。だからそれを変えていくと、そうゆう意味でとても面白いとおもいます。結果としてコンピュータ時代もそれに対応して変わってくるとおもいますね。だからメディアって言うのはとてもおもしろいですね。コンピュータメディアって名前を付けたんだから、そっちの方向にもっていってほしいと思いますそれは君たち、若い人たちが、やることだよ。

(情) ありがとうございます。
インタビュー:河合一慶、栗崎正和 撮影:相原靖弘